ちゃんとしなきゃ。
いい子でいなきゃ。
嫌われないようにしなきゃ。
そういう言葉、頭の中で鳴り続けてることありませんか?
これは、誰かの期待に応えようとして疲れているあなたへ。
読み終わったとき、「もう少し自分に正直でいいんだ」と思えるはずです。
結論から言うと、「ちゃんとしなきゃ」の正体は、誰かに嫌われたくないという恐れ。
その皮を脱いだとき、人はずっと身軽になれます!
私も、ずっとそうだった。
「いい子」でいることが、身を守る方法だった
子どもの頃から、「ちゃんとしなきゃ」は私の中にあった。
いじめられないために。嫌われないために。輪から外れないために。
出すぎず、目立ちすぎず、でも存在感は消しすぎず。
そのバランスを、無意識に保ち続けていた。
それが当時の私にとっての「生き方」だったと思う。
薄い皮を被り続けた先にあったもの
高校に入るタイミングで、私はその皮を脱ぐことにした。新しい環境で、ちゃんと自分でいようと決めた。でもそれまでの間、ずっと皮を羽織ったまま過ごしてきた。
本当の自分じゃない何かを演じ続けるのは、思っている以上にエネルギーを使う。じわじわと、消耗していく。「ちゃんとしなきゃ」を繰り返すたびに、本当の自分がどこにいるのか、少しずつ分からなくなっていった。
皮を被っている間は、
褒められても嬉しくなかった。
褒められているのは、本当の自分じゃないから。
憧れた人たちの共通点
そんな中で、ふと気づいたことがあった。自分が「かっこいいな」と思う人は、皮を被っていなかった。
場の空気に流されない。周りの目を気にしすぎない。でも横柄でも無神経でもない。ただ、自分の気持ちに正直なまま、堂々としている。そういう人たちのことを、私はずっと観察していた。
共通点を探して、研究して、自分に取り入れられるものを探した。たくさん時間をかけて、ようやく見えてきたものがあった。
皮を被らなくていい人は、何が違うのか
答えはシンプルだった。彼女たちには、自分の信念があった。
周りの意見や世間の体裁よりも先に、「自分はこう思う」「自分はこうしたい」という軸を持っていた。だから流されない。だから取り繕わなくていい。自分の気持ちに素直なまま動いているだけで、それが自然と「かっこよさ」になっていた。
特別なことは何もしていなかった。
ただ、自分の気持ちに正直でいただけ。
それだけなのに、こんなにかっこいい。
目から鱗だった。
自分の気持ちに素直なだけで、こんなにかっこいい
「ちゃんとしなきゃ」は、誰かに嫌われないための防衛だった。でも考えてみると、その「誰か」は自分が思い込んでいるだけで、実際にはそんなに自分のことを気にしていないことが多い。
皮を一枚脱ぐのは、怖い。最初は特に。でも脱いだあとの軽さは、被っていたときには想像もできないものだった。
「ちゃんとしなきゃ」が頭に浮かんだとき、少しだけ立ち止まってみてほしい。それは本当に自分がそうしたいのか。それとも、誰かに嫌われないためのフィルターが動いているだけなのか。
自分の気持ちに素直でいること。それだけで、人はずっと身軽になれる。
偽りの自分に集まった人は、本当の自分の味方じゃない
「ちゃんとしなきゃ」の裏側にあるのは、たぶん不安だと思う。おとなしくしていなきゃ嫌われる。期待に応えなきゃ愛されない。そういう恐れが、皮を被らせていた。
でもかっこいいと思った人たちは、自分を自分で愛せていたんじゃないかと今は思う。ありのままの自分をさらけ出して、そこに魅力を感じて集まってくれる人を大切にしていた。
偽りの自分に期待して集まってくれても、
しんどいのは自分だけ。
本当の自分のそばにいてくれる人が、
本当の味方だと気づいた。
なりたい自分は、自分で決める
なりたい自分になりたいなら、なればいい。それだけのことだと思う。
誰かが「あなたはこういう人だ」と決めることはできない。あなたの人生はあなたのもので、どう生きるかを決める権利は最初からあなたにある。かっこいいと思う生き方があるなら、観察して、研究して、自分に取り入れればいい。それは真似じゃなくて、自分を育てることだから。
「ちゃんとしなきゃ」が浮かんだとき、こう問い直してみてほしい。それは誰のための「ちゃんと」なのか、と。自分のためなら続ければいい。誰かの目のためだけなら、少しだけ手放してみてもいいかもしれない。🌿